2017年07月19日

【7月17日〜19日】

「そこから旅順港は見えるか!」
司馬遼太郎先生の『坂の上の雲』で描かれた203高地攻略直後の児玉源太郎満州軍総参謀長が叫んだ言葉です。
その場面で、観測兵は「丸見えであります!」と泣きながら応えています。

中国は大連市を訪れました。
日本が世界に認められ、トルコからの敬意も高められた日露戦争における203高地攻略戦。
その舞台である『旅順』という地を確認しに行って参りました。
かねてからの念願でした。
21世紀に生きる一日本人として、対ロシア・対中国を考える際にきっと必要となる気がしたからです。

2日目の朝、ドライヴァーと通訳を依頼して大連市を出発し、旅順へ向かいました。
1時間20分程で203高地の麓へ到着し、坂道を登りました。途中、何組かのグループとすれ違いましたが、中国人の方が多かったでしょうか。
数分後、203高地の高台に到着しました。
見下ろした旅順港は、深い霧でほとんど見えませんでしたが、確かにそこには旅順港がありました。

乃木大将が命名した『爾霊山』と書かれた忠魂碑は、日露戦争後にこの高地で拾い集めらた弾丸と薬莢を集めて日本製のライフル弾の形に鋳造されて建てられたものです。
現地の案内板には『記念タワーを作り上げ、日本の国民を騙している』と記載されていますが。

この攻略戦で祖国の為に死傷した兵士はロシア軍五千に日本軍一万七千。
それぞれがそこに正義があると信じて戦ったはずではないでしょうか。
それぞれの英霊を讃えながら、偏った歴史解釈を表現したまま日本人に土産物を売ろうとする施設内中国人スタッフには心に重く残るものを感じました。

結局、旅順では旅順博物館・関東軍司令部跡博物館(休館)を巡り、乃木大将とステッセル将軍の会談が行われた水師営会見所を訪れました。
ご丁寧なご対応をいただきましたが、その流暢な日本語で一体ワタクシに本当は何を伝えようとしていたのですか??

グローバリズム。
それを享受する為には、それぞれが自国の歴史を正しく認識するとともに誇りを持ち、相手方の歴史や事情も理解することから始めなければいけないと思います。
世界は広く深いですね。

兎も角、思い感じることの多かった大連訪問となりました。
ご尽力いただいた皆様及びお会いした全ての皆様に心から感謝申し上げます。








































  


Posted by 川畑哲哉 Kawabata Tetsuya at 23:45Comments(0)政務調査